何気ない会話の中で
前回の話→[工場マン物語]第2話: 人は簡単に変われない[後編]
工場に来て1ヶ月ちょい経過。
仕事にも慣れ職場の人とも仲良くなってきた。当時隣の工程のNが同い年だったでよく話していた。
ある日何気ない会話の中でNが「休日は何をやっているか?」と質問してくる。
パチスロ以外やっていない私は「べつに何も・・・」と沢尻エリカ風に答える。
逆に質問をし返すとN君はバイクが趣味のようだった。
N君は何と言うかまっすぐな人間という印象だった。
だからバイクには全く興味のない私だったが、彼の話している姿は本当に楽しそうでキラキラしていたのを覚えている。
正直な話、私は工場で働く人に多少なりと偏見があった「どうせパチンカスか酒飲みだらけだろ」とかそういうイメージだった。
でも実際はN君だけでなく他の社員の人も多趣味で家族持ちも多く人生を謳歌している印象だった。
それに比べて自分はどうだ?特に趣味もなくギャンブル三昧で人の事とやかく言える立場ではない人間だ。
そして他人にあまり興味のなかった自分が興味を持つようになったのもこの頃くらいだった。
芽生え
◯イハツの方と何度か飲んだり喋ったりする機会があったが、その度「自分も何かが欲しい。」
そんな気持ちが芽生えていた。ただその「何か」が全く見えてこないまま、、、
ある日私は突拍子もなく思いつく、やりたい事が見つからない奴が考えるスーパー安易な答えベスト5に入るであろうあれだ。
それは、、、
である。
東京なら色々あるから東京が何とかしてくれる!
そんな安易な考えで私は東京に行きたくなってしまったのだった。
東京は何もしてくれないのに、、、
期間工の存在を知る
その日の帰り道に同期のW君にその事を話してみた。
そこで私は初めて「期間工」の存在を知ることになるのだが、たまたまW君が経験者だったのがまさに「運命」だった。
W君は東京にある◯野自動車の期間工経験者だった。
そこで私は期間工について色々聞き調べるようになった。
寮が無料なこと、給料や入社祝い金が高いこと、ボーナスがあること、悩む理由はもうなかった。
ちなみに当時いた派遣ではアパート代と光熱費で5万近く取られてました。
環境を変えて自分も何か見つけたい!
そんな気持ちで私はすぐに応募して契約延長を拒否しすぐに東京行きを決めたのだった。
そうして無事派遣も終わり東京に行くのであった。
たった3ヶ月だったが送別会や見送りに来てくれた◯イハツの皆は本当に優しくて最高な人たちでした。
数年経った今でも交流があるので本当に人の出会いというのはわからないものです。
さて東京で工場マンは何かを見つけることは出来るのでしょうか?
未来は誰にもわからない、、、ひとつわかることは
現在の所持金15000円
〜続く〜